「騎士団長殺し」の名言集
騎士団長殺し
出版社:新潮社
単行本発売日:2017/2/24
単行本:第1部 512ページ、第2部 544ページ
第1部 P.339 : 雨田政彦
「良い面を見るようにしろよ」
「つまらん忠告かもしれないが、どうせ同じ通りを歩くのなら、日当たりの良い側を歩いた方がいいじゃないか」
第1部 P.340
人には知らないでいた方がいいこともあるだろう、と雨田は言った。そうかもしれない。人には聞かないでいた方がいいこともあるのだろう。しかし人は永遠にそれを聞かないままでいるわけにはいかない。時が来れば、たとえしっかり両方の耳を塞いでいたところで、音は空気を震わせ人の心に食い込んでくる。それを防ぐことはできない。もしそれが嫌なら真空の世界に行くしかない。
第1部 P.425 : 免色
「二度考えるよりは、三度考える方がいい、というのが私のモットーです。そしてもし時間さえ許すなら、三度考えるよりは、四度考える方がいい。ゆっくり考えてください」
第1部 P.425 : 騎士団長
目に見えるものが現実だ。
しっかりと目を開けてそれを見ておればいいのだ。判断はあとですればよろしい。
第1部 P.449 : 騎士団長
「歴史の中には、そのまま暗闇の中に置いておった方がよろしいこともうんとある。正しい知識が人を豊かにするとは限らんぜ。客観が主観を凌駕するとは限らんぜ。事実が妄想を吹き消すとは限らんぜ」
第1部 P.450 : 騎士団長
「もしその絵が何かを語りたがっておるのであれば、絵にそのまま語らせておけばよろしい。隠喩は隠喩のままに、暗号は暗号のままに、ザルはザルのままにしておけばよろしい。それで何の不都合があるだろうか?」
第2部 P.12 : 秋川まりえ
「目に見えるものが好きなの。目に見えないものと同じくらい」
第2部 P.90 : 雨田政彦
「どんなものごとにも明るい側面がある。どんなに暗くて厚い雲も、その裏側は銀色に輝いてる」
第2部 P.123 : 騎士団長
「免色くんにはいつも何かしら思惑がある。必ずしっかり布石を打つ。布石を打たずしては動けない。それは生来の病のようなものだ。左右の脳をめいっぱい使って生きておる。あれではとてもイルカにはなれない」
第2部 P.141 : 免色
「試練はいつか必ず訪れます」
「試練は人生の仕切り直しの好機なんです。きつければきついほど、それはあとになって役に立ちます」
第2部 P.198
人は本当に心から何かを望めば、それを成し遂げることができるのだ。私はそう思った。ある特殊なチャンネルを通して、現実は非現実的になり得るのだ。あるいは非現実は現実になり得るのだ。人がもしそれを心から望むなら。しかしそれは人が自由であることを証明することにはならない。それが証明するのはむしろ逆の事実かもしれない。
第2部 P.319 : 騎士団長
「そう、すべてはどこかで結びついておるのだ」
「その結びつきから諸君は逃げ切ることはできない。さあ、断固としてあたしを殺すのだ。良心の呵責を感じる必要はあらない。雨田具彦はそれを求めている。諸君がそうすることによって、雨田具彦は救われる。彼にとって起こるべきであったことがらを、今ここに起こさせるのだ。今が時だ。諸君だけが彼の人生を最後に救済することができるのだ」
第2部 P.382
だってこの場所にあるすべては関連性の産物なのだ。絶対的なものなど何ひとつない。痛みだって何かのメタファーだ。この触手だって何かのメタファーだ。すべては相対的なものなのだ。光は陰であり、影は光なのだ。そのことを信じるしかない。そうじゃないか?
第2部 P.427
まったく正しいこととか、まったく正しくないことなんて、果たしてこの世界に存在するものだろうか?我々の生きているこの世界では、雨は三十パーセント降ったり、七十パーセント降ったりする。たぶん真実だって同じようなものだろう。三十パーセント真実であったり、七十パーセント真実であったりする。その点カラスは楽でいい。カラスたちにとっては雨は降っているか降っていないか、そのどちらかだ。パーセンテージなんてものが彼らの頭をよぎることはない。
第2部 P.512 : 秋川まりえ
「絵が未完成だと、わたし自身もいつまでも未完成のままでいるみたいで素敵じゃない」
第2部 P.525 : ユズ
「私が生きているのはもちろん私の人生であるわけだけど、でもそこで起こることのほとんどすべては、私とは関係のない場所で勝手に決められて、勝手に進められているのかもしれないって。つまり、私はこうして自由意志みたいなものを持って生きているようだけれど、結局のところ私自身は大事なことは何ひとつ選んでいないのかもしれない。そして私が妊娠してしまったのも、そういうひとつの顕れじゃないかって考えたの」
「こういうのって、よくある運命論みたいに聞こえるかもしれないけど、でも本当にそう感じたの。とても率直に、とてもひしひしと。そして思ったの。こうなったのなら、何があっても私一人で子供を産んで育ててみようって。そして私にこれから何が起こるのかを見届けてみようって。それがすごく大事なことであるように思えた」
第2部 P.528 : 私
「この世界には確かなことなんて何ひとつないかもしれない」
「でも少なくとも何かを信じることはできる」
第2部 P.540
私が免色のようになることはない。彼は、秋川まりえが自分の子供であるかもしれない、あるいはそうではないかもしれない、という可能性のバランスの上に人生を成り立たせている。その二つの可能性を天秤にかけ、その終わることのない微妙な振幅の中に自己の存在意味を見いだそうとしている。しかし私にはそんな面倒な(少なくとも自然とは言い難い)企みに挑戦する必要はない。なぜなら私には信じる力が具わっているからだ。どのような狭くて暗い場所に入れられても、どのように荒ぶる曠野に身を置かれても、どこかに私を導いてくれるものがいると、私には率直に信じることができるからだ。それがあの小田原近郊、山頂の一軒家に住んでいる間に、いくつかの普通ではない体験を通して私が学び取ったものごとだった。